福岡の税理士事務所 北川税理士事務所は、幼稚園・保育園の会計税務を専門としています。

ホーム > 事務所紹介

事務所紹介

   事務所概要

事務所名 北川税理士事務所
所在地 〒810-0013 福岡県福岡市中央区大宮2丁目5番3号 OHMIYA252 10-204
電話 092-408-7361
FAX 092-408-7522
営業時間 平日9:00 ~ 17:00
所属 九州北部税理士会 福岡支部(登録番号110433)
従業員数 7名
主な業務内容
  • 学校法人(特に幼稚園)の会計業務
  • 社会福祉法人(特に保育園)の会計業務
  • 企業主導型保育事業の事務受託
  • クラウド会計freeeの導入支援

   北川税理士事務所 代表税理士

代表税理士 北川 真一
Kitagawa Shinichi

略歴

1976年3月 長崎県五島市生まれ
1994年3月 長崎県立五島商業高等学校(現、五島海陽高校)卒業
1994年3月 フットワークエクスプレス株式会社(運送業)へ入社。
1998年7月 株式会社じゅう(不動産業のちJGMに社名変更)へ転職。
2001年2月 株式会社デスクトップ(事務代行会社)へ転職。
2003年10月 藤崎公認会計士事務所へ転職。
2011年11月 北川税理士事務所開設。

資格

  • 日商簿記 1級
  • 税理士(簿記論・財務諸表論・消費税法・固定資産税・法人税法)
  • 宅地建物取引士

   ごあいさつ

なぜ、税理士になろうと思ったのですか?
というご質問をたまに受けます。
わたしの家系は税理士や会計士などの専門職の親族はおりませんので二世というわけではありません。
地元の商業高校を卒業して、フットワークエクスプレス株式会社という運送会社へ就職しました。
なぜこの会社に就職したかというと、当時の進路の先生に、君は事務職があっているんじゃないか?と言われて当該企業を勧められ、採用試験を受けたら見事合格したからです。
このときは、親せきが名古屋にいたのでそのあたりに配属をお願いしたのですが名古屋近辺の支店に空きがないとのことで静岡県の浜松市に勤務となりました。
何のゆかりもない地域でしたが、あまり気にすることもなく社会人生活をスタートしました。
運送会社での仕事を毎日もくもくとこなして、今日もいつもの1日が終わったなぁと思いながら先輩たちと夜食を食べに行ったときに一人の先輩が、ふと会話の中で「税理士」という発言をしたときに何か心に響くものがありました。
税理士?どんなことをする仕事だろう?
これが税理士を目指そうと思った最初のきっかけになります。
ここから、税理士とは~ ということを調べ始め、「税理士になろう」という本を買って読んでみて、「よし、税理士になろう!」と決断し、運送会社を3年ちょっとで退職しました。
浜松に住む理由もなかったので、わたしの地元に直接、船も飛行機も出ておりかつ、親せきがいる福岡に引っ越そうと決断しました。
高校卒業したときから就職先を福岡にしておけばよかったのかもしれませんが、もしそうしていたらわたしは税理士になっていなかったと思いますのでこれはこれでよかったのです。
 
税理士のことをよく調べてみると、どうも独学で税理士の資格を取るのは不可能に近いうえ、わたしは高卒で実務経験もないため税理士試験の受験資格がないという状況でした。
受験資格がないのに税理士になるために仕事を辞めてしまい、のちに受験資格となる日商簿記1級がこんなに難しいものとは…とまったく無知な状況で税理士を目指そうと考えてしまったこと自体、今にして思えば若気のいたりとはいえお恥ずかしいかぎりです。
とりあえず「税理士になる」と決断したわけですから、ここからわたしの働きながら受験校に通うという長い両立生活が始まります。
経済的に余裕があれば、受験に専念して短期間に資格を取得することが出来たのでしょうがそんなお金があるわけもなく正社員で仕事をしつつ、夜間と休日を使って勉強する道しか選べませんでした。
 
まずは税理士試験の受験資格を得るために、「日商簿記の1級」の取得が必須だったのですが、この日商簿記1級も独学での取得は非常にハードルが高いため、この資格も働きながら受験校に通っての取得を目指しました。
 
福岡にきて、すぐに就職活動をおこないましたが当時は就職氷河期でなかなか仕事が決まらず、大変な思いをしました。
高校卒業の時はバブルがはじけた後とはいえ、田舎の高校なのに大企業からの求人も多く、そのときは比較的簡単に大企業に就職できてしまったのです。
その感覚で就職活動を始めたものですからなかなか希望の職種での就職が決まらず、しかも求人票では「大卒~」というものが多く、ここで初めて「学歴の壁」を経験しました。
それでも何とかJGMという地場の不動産会社に就職がきまりました。
このとき面接をして下さったJGMの専務と経理部長が私には神様に思えました。
手取り14万円の給料でしたが、アパートを借りて1人暮らしの中そこから受験校に通う学費をねん出し、さらに貯金をし、と厳しい資金繰りのサラリーマン生活を送りました。
 
日商簿記の1級に合格し、いよいよ税理士試験の勉強を始めようと思っていたやさき、せっかく不動産会社で働いているのだから、「宅地建物取引士(旧、宅地建物取引主任者)」の勉強をしようと思いました。
税理士試験の授業料で金欠状態だったため宅建の勉強は受験校に通うお金を工面できませんでした。
宅建資格は市販の参考書と問題集を買って独学で試験に挑み、なんとか資格をとることができました。
この不動産会社での経験があったからこそ、わたしは不動産業が少し得意な分野となりました。
 
税理士試験の「簿記論」という科目を取得した時点でわたしは将来やはり税理士として仕事がしたいためそこの不動産会社を2年半で退職いたしました。
 
そしてまた就職活動、今回は経理の経験があり資格もあったことから比較的スムーズに就職活動ができ、経理事務代行の会社で仕事をしました。
そこではのちのちにもお付き合いができる士業の方とも知り合うことができて、税理士試験の「財務諸表論」を取得しました。
会計科目をパスしたことをきっかけに最後の転職を考えました。
税理士事務所で仕事をして独立の準備を考え始めました。このときすでに27歳でした。
 
そして平成15年10月に藤崎公認会計士事務所へ就職しました。
公認会計士事務所ですが、税理士業務をメインに行っており、かつ、「学校法人」を中心に公認会計士の監査業務も行っているため通常の税理士事務所では経験できない仕事を多数経験することができ、非常に身になりました。
事務所での仕事は多忙で、繁忙期が確定申告時期から学校法人の監査が終わる6月までと長いため、税理士試験前の大事な時期に勉強時間を確保するのが大変難しく何度も仕事を辞めたいと思いましたが、所長に採用して頂いた恩義を思い出しながら、試験に挑んでおりました。そのかいあって、なんとか残りの税法3科目「消費税法」「固定資産税」「法人税法」を4年で合格し31歳にして税理士となりました。
 
思えば運送会社で働いていた先輩の一言がことの発端だったのですが、おかげで20代はほとんど遊ぶ余裕もなく、税理士になるためにひたすら働いて勉強しました。
 
しかし最初の目標が、「税理士になること」だったのが、仕事をしていくうちに税理士という仕事の奥の深さや、お客さまが知らないがために税金で損をするということが結構あることを知りました。
経営を行う上で税金は頭の痛いコストです。
納税は国民の義務ですが、厳しい環境の中小企業にとって無駄な税金を払う必要はありませんし、実際、わたしは勤務税理士時代から中小企業のお客さまの有益になる情報を提案し続け、少しでも税のコストを減らせるよう取り組んでいます。
そしてお客さまに感謝のお言葉をいただくたびに税理士になって本当によかったと思います。
 
わたしは、お客さまに「税金計算があるから税理士を雇わざるを得ない」ではなく、「会社経営のブレーンとして税理士を雇いたい」と思っていただけるよう日々努力しております。
まだまだ力不足で、我々が本当にやりたいことの50%も出来ていません。
でも少しずつでも前に進んで行きたいと思います。中小企業の経営者の皆さま並びに幼稚園、保育園の理事長及び園長先生のお役に立てる、「福岡市で非常に親切な税理士事務所」を目指して、これからも努力を続けていきたいと思いますので、どうぞこれからも変わらぬご支援のほどお願い致します。
ご不明点などございましたら、お電話もしくはお問合せフォームよりお気軽にご相談・お問合せください。
電話受付時間:9:00~17:00(土・日・祝日は除く)